日本で最初に鉄道が走ったのは新橋〜横浜間。1872年10月14日のことです。そしてその約1年後には、日本で最初の貨物列車が同線を走ったらしい。時が過ぎ、1914年東京駅開業に伴い新橋駅は汐留駅と改名し、貨物専用駅となる。1973年大汐線が開業。70年余りを貨物専用駅として人生(駅生)を送り、汐留駅は1986年にその終止符を打つことになった。初代新橋駅(汐留駅)は、日本の鉄道の歴史を語る上では決して除外できない駅といえます。そんな由緒正しき場所へと自転車を進めることにします。賢明なる読者の皆様、心の準備(?)はできましたでしょうか?それでは参りましょう。『鉄道路線の駅を自転車で巡る旅 第54弾 東海道貨物支線サイクリング』の最終話であります。![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 汐留シオサイトの北の端、昭和通りに面する場所に建っています。 周囲の高層ビルと比較すると、マッチ箱のように小さな建物。 威風堂々。質実剛健。。。いろいろな言葉が似合いそうな建物です。鉄道開業時の旧新橋停車場を同じ場所に再現したとのこと。 この建物は、1872年(明治5)年10月14日(太陽暦)に開業した日本最初の鉄道ターミナル新橋停車場の駅舎の概観を、当時と同じ位置に、できるだけ忠実に再現したものです。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ここに残されているのは、正面玄関の階段の最下段として使われていた切石です。正面玄関の階段は9段あったことが、当時の写真から分かっています。 「初めて鉄道に乗った人は、この階段を上がりながら、どんなことを考えていたんだろう 」「やはり、期待と不安が入り混じったような微妙な気持ちかなぁ〜 」・・・ 130年以上も前のことを想像するのは面白いもの。。。いろんなことを妄想しながら、駅舎の裏側に回ってみることにします。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 「んっ、線路?」 かなり短く古びた線路ですが、非常に重要な物のようです・・・ 1870年4月25日(明治3年3月25日)、測量の起点となる第一杭がこの場所に打ち込まれました。1936(昭和11)年に日本の鉄道発祥の地として0哩標識と約3mの軌道を復元しました。1958(昭和33)年10月14日、旧国鉄によって『0哩標識』は鉄道記念物に指定され、1965(昭和40)年5月12日、『旧新橋横浜間鉄道創設起点跡』として国の指定史跡に認定されました。 創業当時、枕木やレールの台座(チェアー)は小石や砂の混じった土を被せられ、レールの頭だけが地表に出ていました。レール断面は上下対照のI型で、双頭レールといいます。この復元軌道の半分は小石を被せて当時に近い状態を再現し、残りは枕木や台座が見えるようにしました。双頭レールは錬鉄製で、1873年にイギリスのダーリントンで作られ、官設鉄道で使われたあと、新潟県柏崎市の製油所で使われたもので、新日本石油株式会社、新日本石油加工株式会社の両社からご寄贈いただきました。 「わぁ〜 」「スゲぇ〜 」・・・ 感嘆詞を連呼しながら、わずか3mの線路を行ったり来たり。熱心に観察を続けます。 「いいねぇ〜 」「コレまで見た線路の中では最高だねぇ〜 」・・・ 自転車用ヘルメットを被った鉄道○タク(※本人は自覚していません)は、一通り観察に満足すると0哩標識の前に立ちます。国の指定史跡ですので、標識の立っている場所には侵入禁止。彼は何食わぬ顔をしながら、器用にカメラを持ち換えます。そして次の瞬間。自転車用グローブをはめた右手をいっぱいいっぱいに差し出し、何やらボソボソと言いながら何度も親指でシャッターを切ります。 「汽笛一声新橋を 」・・・パチリ![]() 「はや我汽車は離れたり 」・・・パチリ![]() 「愛宕の山に入りのこる 」・・・パチリ![]() 「月を旅路の友として 」・・・パチリ![]() これまで見てきた大汐線の悲しい現状を忘れ、初代新橋駅(旧汐留駅)を思う存分楽しんでいる様子。そのあと、彼は鼻歌まじりで東海道を下り、帰宅したのでした。もちろん、汽車ではなく自転車で。 − 『東海道貨物支線サイクリング』 完結 − |
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